「代謝(metabolism)」と聞くと非常に小難しい言葉に聞こえるかもしれません。代謝は摂取した栄養素を生体活動に必要なエネルギーに変える一連の過程を示しています。心臓は心筋という筋肉の塊であり、1日にタンクローリー約1台分の血液を全身に送るポンプとして働きます。その膨大な仕事量の割に心筋細胞内にエネルギーを蓄えるスペースをほとんど持っていないため、絶えずエネルギーを産生し続けなければなりません。つまり、数秒エネルギーが作られなければ心筋はエネルギーが枯渇して停止してしまうほどエネルギー欠乏に脆弱な臓器とも言えます。私は3年前、カナダ・アルバータ大学に留学し心臓のエネルギー代謝を専門に研究してきました。そこでは、working heart perfusionという心筋灌流システムを使用し(下図)、動物から採取してきた心臓を放射線同位体で標識した栄養素を含む溶液で灌流し、様々な栄養素(脂肪酸、糖、アミノ酸、ケトンなど)の代謝が心不全などの病気になるとどのように変化するか検討しました。
結果の詳細については、今後ブログでご紹介しますが、例えば心不全になると脂肪酸から糖をより多く使う代謝に変化します。最近ではケトン体の代謝が増えることも明らかになってきました(Circulation. 2016;133:706-16.)。ただ疑問は「なぜこのような代謝変化が起こるのか?その調節機構は何であろうか?」という点でした。色々検討している中で、蛋白質の翻訳後修飾であるアセチル化という現象がそこに重要に関わっていることが分かりました(Fukushima A . Biochim Biophys Acta. 2016.)。私は循環器専門のくせにもともと心臓よりも筋肉(骨格筋)に興味がありましたので、筋肉でも同じようなことが起こっていないか、帰国したら研究しようと考えていました。
折しも、留学している間に非常に優秀な後輩がまさしく「アセチル化と骨格筋代謝」に着目して研究してくれていました。彼はマウスの冠動脈を結紮して心筋梗塞を起こさせ、心不全モデルを作製し、このマウスから骨格筋を採取してエネルギー代謝やアセチル化を検討しました。大変興味深いことに、既に報告されている不全心筋と同様に、心不全の骨格筋においてもアセチル化が亢進し、脂肪酸代謝の低下と関連していました。さらに、血中のアセチル化の断片物質のレベルは心不全の重症度や全身持久力と関連しており、新しい心不全の重症度を測る血中マーカーになる可能性も示唆しました。
この研究は海外の一流雑誌である”Journal of Cachexia, Sarcopenia and Muscle” に掲載されましたが、さらに嬉しいことに、論文の筆頭者である後輩は先週の日本心臓リハビリテーション学会において、栄誉ある論文賞に選出されました。私は直接の指導者としてアドバイスはしましたが、この賞は最後まで諦めなかった彼のひたむきな努力と研究に多大なる貢献をしてくれたラボメンバーの尽力の賜物です。皆さん、本当におめでとうございます!! この成果は、カナダでの知見が日本でも認められたことも意味しており、私個人も大変嬉しく思います。
さらにさらに、この学会ではもう一人の優秀な後輩がミトコンドリア複合体IIに関する基礎研究で若手最優秀賞 (YIA)を受賞しました。優秀な後輩達がどんどん世に出て活躍していく姿は本当に嬉しいですし、循環器分野の基礎研究をさらに発展して頂きたいと切に願います。
重症心不全への骨格筋シートによる再生治療をご存知でしょうか? これは重症心不全患者さんから骨格筋を採取し、シート状に増殖させて心不全に陥った心臓表面に貼ることにより、心機能回復を目指すものです (現在、大阪大学が臨床研究を実施中)。これは見方を変えると、心筋と骨格筋の代謝変化やその調節機構が似ているという我々の結果を支持するものであり、良い成果が期待されます。また先日、とある基礎研究の会で口演してきましたが、その際にも心筋の再生治療がかなり現実味を帯びていることを聴講し、大変感銘を受けました。現行の薬物治療の適正化や医療機器の発展はもちろんですが、心不全という難治性疾患に対して挑戦し、新たな治療法を人類が手にするには基礎的検討が非常に重要であり、その中でも「心筋のエネルギー代謝」は今後ますます注目されるでしょう。このブログでそんな最先端の研究成果についても、随時ご紹介していきます。